1998-06-18 第142回国会 参議院 総務委員会 第8号
—————————— 委員の異動 四月八日 辞任 補欠選任 渕上 貞雄君 瀬谷 英行君 四月九日 辞任 補欠選任 瀬谷 英行君 大渕 絹子君 四月十日 辞任 補欠選任 大渕 絹子君 瀬谷 英行君 四月十三日 辞任 補欠選任 寺澤 芳男
—————————— 委員の異動 四月八日 辞任 補欠選任 渕上 貞雄君 瀬谷 英行君 四月九日 辞任 補欠選任 瀬谷 英行君 大渕 絹子君 四月十日 辞任 補欠選任 大渕 絹子君 瀬谷 英行君 四月十三日 辞任 補欠選任 寺澤 芳男
それでは、理事に寺澤芳男君及び吉岡吉典君を指名いたします。 —————————————
永野 茂門君 委 員 鎌田 要人君 北岡 秀二君 田村 公平君 南野知惠子君 馳 浩君 林 芳正君 岡崎トミ子君 寺澤 芳男
平成十年五月七日(木曜日) 午前十時二分開会 ――――――――――――― 委員の異動 四月二十八日 辞任 補欠選任 笹野 貞子君 竹村 泰子君 寺澤 芳男君 広中和歌子君 泉 信也君 田村 秀昭君 ――――――――――――― 出席者は左のとおり。
去る四月二十八日、笹野貞子さん、寺澤芳男君及び泉信也君が委員を辞任され、その補欠として竹村泰子さん、広中和歌子さん及び田村秀昭君が選任されました。 ―――――――――――――
平成十年四月二十八日(火曜日) 午後一時三十分開会 ————————————— 委員の異動 四月二十四日 辞任 補欠選任 鈴木 正孝君 青木 幹雄君 四月二十七日 辞任 補欠選任 竹村 泰子君 笹野 貞子君 広中和歌子君 寺澤 芳男君 田村 秀昭君 泉 信也君
昨日、竹村泰子さん、広中和歌子さん及び田村秀昭君が委員を辞任され、その補欠として笹野貞子さん、寺澤芳男君及び泉信也君が選任されました。 —————————————
○寺澤芳男君 まず、今は二十一世紀に向かってというような言葉を使う人もいなくなったし、もう既に二十一世紀というのがあと三年先の話です。ですから我々としては、二〇一〇年とか二〇五〇年とかそういう時限を考えながら、アジア太平洋地域の安定、日本の役割というのをまず考えていかなければいけないと思います。
上田耕一郎君 永野 茂門君 委 員 鎌田 要人君 田村 公平君 南野知惠子君 馳 浩君 林 芳正君 岡崎トミ子君 寺澤 芳男
平成十年四月十六日(木曜日) 午後一時四分開会 ————————————— 委員の異動 四月十四日 辞任 補欠選任 寺澤 芳男君 北澤 俊美君 四月十五日 辞任 補欠選任 大野つや子君 鈴木 省吾君 四月十六日 辞任 補欠選任 青木 幹雄君 田村 公平君
去る十四日、寺澤芳男君が委員を辞任され、その補欠として北澤俊美君が選任されました。 また、本日、青木幹雄君が委員を辞任され、その補欠として田村公平君が選任されました。 —————————————
○寺澤芳男君 私はこの小委員会のメンバーではなかったわけですが、この報告書をちょっと読ませていただきまして、すばらしい内容の報告書を何回ものいわゆるディベートあるいはディスカッションを通じて作成された小委員長を初めとしたメンバーの方々、委員部の方々に敬意を表します。 その間、いろんな話し合いてもう既に私が今から申し上げることは討議を尽くされたのかもしれませんが、一つには人口問題。
永野 茂門君 委 員 鎌田 要人君 北岡 秀二君 田村 公平君 南野知惠子君 馳 浩君 林 芳正君 岡崎トミ子君 寺澤 芳男
正幸君 大木 浩君 小川 勝也君 和田 洋子君 谷本 巍君 鈴木 和美君 四月十日 辞任 補欠選任 大木 浩君 国井 正幸君 和田 洋子君 釘宮 磐君 鈴木 和美君 谷本 巍君 四月十三日 辞任 補欠選任 北澤 俊美君 寺澤 芳男
昨日、北澤俊美君が委員を辞任され、その補欠として寺澤芳男君が選任されました。 —————————————
平成十年四月八日(水曜日) 午後一時開会 ───────────── 委員の異動 四月六日 辞任 補欠選任 寺澤 芳男君 直嶋 正行君 平井 卓志君 田村 秀昭君 栗原 君子君 山口 哲夫君 四月七日 辞任 補欠選任 吉岡 吉典君 緒方 靖夫君 西川
委員長 石田 美栄君 理 事 板垣 正君 木宮 和彦君 寺澤 芳男君 吉岡 吉典君 永野 茂門君 委 員 井上 孝君 鎌田 要人君
○寺澤芳男君 通産大臣にお願いします。貸し渋りの定義を教えてください。
○寺澤芳男君 時間が参りましたので、午後にさせてください。
○寺澤芳男君 今、官房長官は、各国ともに大蔵省あるいは中央銀行の出身者が多いということですか、御案内のように世界銀行もIMFも一つの株式会社みたいなものですから、日本は日本で出資金を出している。そして、理事室というのが各国ともにありまして、出資国の日本を代表している理事室というのがあるわけです。その理事室は確かに各国ともに大蔵省とか中央銀行の関係者が多い。
○寺澤芳男君 ありがとうございました。 今も申し上げたように、政務次官が行政官僚をコントロールできるかどうか、これは実は総理以下二十一名の大臣についても同じようなことが言えるのではないかと思います。 現在、閣議が定例で火曜日と金曜日というふうになっておりますが、その内容はほぼ前日の月曜日と木曜日の事務次官等会議で決定しているのであろうと推察をいたします。
○寺澤芳男君 官房長官がおっしゃったように、閣議そのものが全員一致の慣行等々でなかなか活性化してこない。したがって、閣僚懇談会の場を何とかして時間をとって、五分ではなくて例えば三十分時間をとって、そこで閣僚が本当に自分の意見を発表できるような、かんかんがくがくの議論の場になるような、そういう場をやはり考えるべきではないかと私は思っております。
委員長 石田 美栄君 理 事 板垣 正君 木宮 和彦君 寺澤 芳男君 吉岡 吉典君 永野 茂門君 委 員 井上 孝君 鎌田 要人君
委員長 石田 美栄君 理 事 板垣 正君 寺澤 芳男君 吉岡 吉典君 永野 茂門君 委 員 井上 孝君 鎌田 要人君 鈴木 貞敏君
○寺澤芳男君 去年十一月十二日の朝日新聞の報道によりますと、東京都板橋区在住の台湾人、林さんという方が日本政府を相手にお父さんの恩給に関する訴訟を起こしたとあります。林さんのお父さんは日本統治下の一九二一年四月から一九三九年三月まで台湾の小学校教諭を務められ、その後、三九年四月から四五年十月まで月額二十二円の恩給を支給されていましたが、それ以降は支給を打ち切られたそうであります。
○寺澤芳男君 現在、御承知のように大変不景気のさなかで、受給者の方々にとっても非常に厳しい状況ではないかと推察いたしております。その中で、恩給受給者の方々がいわゆる町の金融機関にお金を借りて、その際に恩給証書、郵便貯金通帳、印鑑を担保にとられてしまったという話をよく聞きます。
○寺澤芳男君 以上です。
吉岡 吉典君 立木 洋君 三月五日 辞任 補欠選任 立木 洋君 吉岡 吉典君 三月九日 辞任 補欠選任 足立 良平君 角田 義一君 猪熊 重二君 海野 義孝君 三月十日 辞任 補欠選任 角田 義一君 足立 良平君 寺澤 芳男
それでは、理事に寺澤芳男君及び吉岡吉典君を指名いたします。 —————————————
平成十年三月十二日(木曜日) 午前十時開会 ————————————— 委員の異動 三月十日 辞任 補欠選任 清水 澄子君 青木 薪次君 三月十一日 辞任 補欠選任 竹村 泰子君 今井 澄君 寺澤 芳男君 釘宮 磐君 青木 薪次君 清水 澄子君
昨十一日、竹村泰子君及び寺澤芳男君が委員を辞任され、その補欠として今井澄君及び釘宮磐君が選任されました。 —————————————
○寺澤芳男君 一つ、英語についての意見を申し上げておきたいと思うんですが、我が友人の大蔵省の財務官だった行天豊雄君が、英語が日本で通用しないことがアジアとの相互理解に致命的な壁となっているという論文を書いたことがありました。
永野 茂門君 委 員 鎌田 要人君 北岡 秀二君 田村 公平君 南野知惠子君 馳 浩君 林 芳正君 岡崎トミ子君 寺澤 芳男
次に、寺澤芳男君からお願い申し上げます。
辞任 補欠選任 今井 澄君 齋藤 勁君 釘宮 磐君 和田 洋子君 三月五日 辞任 補欠選任 齋藤 勁君 今井 澄君 和田 洋子君 釘宮 磐君 三月十日 辞任 補欠選任 今井 澄君 竹村 泰子君 釘宮 磐君 寺澤 芳男
また、本日、今井澄君及び釘宮磐君が委員を辞任され、その補欠として竹村泰子君及び寺澤芳男君が選任されました。 —————————————
○寺澤芳男君 きょうは本当にお忙しいところをありがとうございます。 民友連の寺澤です。 小島さんにお伺いしたいんですが、私がお伺いしようと思っていたさわりの部分を今おっしゃっていただいたのでちょっとあれなんですが、やはり日本の経済危機のアジアヘの影響という見方を私もすべきであろうと思っております。
永野 茂門君 委 員 鎌田 要人君 北岡 秀二君 田村 公平君 南野知惠子君 馳 浩君 林 芳正君 岡崎トミ子君 寺澤 芳男
○寺澤芳男君 ありがとうございました。